ソーセージ作りは、
特別な夢だったわけではありませんでした。
それでも気づけば、5回目。
仕事終わりの疲れた身体でも、
「今日はソーセージを作る」と思うだけで、
子どものように心が弾みました。
腸詰めをしながら、
「どうして心が満たされる料理と、
焦る気持ちで作る料理が私にはあるのだろう」と、
ふと考えていました。
そして頭の中で、
ひとつずつ答えを探します。
なんとなく、閃いたこと。

私の「料理好き」には、
区分があるのだ、と。
私は大きな発見をした気持ちになりました。
料理は暮らしの一部でありながら、
私にとっては、どこか
“私の作品作り”に近い時間でもあります。
誰かに評価されるためでもなく、
誰かの求める形に合わせるためでもなく、
ただ静かに、集中していたい時間。
たくさんの人に料理を振る舞いたい気持ちは、
あまりありません。
でも、自分に作って美味しかったものは、
分けたい気持ちが、とてもあるのです。
この気づきは、
「頑張る好き」と、
「潜在的な好き」は、
同じ“好き”でも、役割が違うのだと教えてくれました。
どちらが良い悪いではなく、
今の私には、
心を静かに満たしてくれる好きが、
いちばん必要だったのだと思います。
そんなことを考えていたとき、
最近よく観ている映画の『ホビット』のことを思い出しました。
壮大な旅の物語なのに、
心に残るのは、冒険よりも、
そのあとの静かな時間。

旅から帰ったビルボが、
また自分の家に戻り、
いつもの暮らしを大切にしている姿。
なぜか、今の自分と重なりました。
50歳で初めてフィットネスの大会に挑戦したこと。
何歳でも頑張れる自分であろうとした数年間は、
私の人生にとって大きな旅でした。
舞台に立ったあの瞬間が頂上なのではなく、
普段の私に戻ったところまでが、
その旅だったのかもしれません。
私はこの旅で、少し成長して、
少しだけ変わった私で、
また、いつもの暮らしに戻ってきたような感覚があります。
特別なことは何もない夜。
それでも、
湯気の立つ台所の空気や、
手の感覚が、
以前よりもずっと愛おしく感じられました。

また、冒険に出たくなったら、
出かけられる自分でもある気がしました。
そんなことを思いながら、
ソーセージを作った夜でした。


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