大人の時間は、詰め込むより味わう方が好きになった

焙煎機の中に広がる珈琲豆。艶やかに色づいた豆が並ぶ。 朝と暮らしを整える

ジャーナリング、玄関の掃除、食材のストック、AIで作業の時短。
そんな少しずつの積み重ねは、私に余白という時間を作ってくれた。

以前の私なら、その余白時間に何かを詰め込んでいた。

「時間があるなら」と、次の作業をすぐに探していた過去の私。
焦りを感じていた訳でもないのだけど、今思えば、ずっと焦っているように次々とこなしていた。

暗闇の中を走り続けていたんだろうなと、少し前の記事の続きのようだけど
つくづくそう思う。
暗く長いトンネルの中の私は、何かをしていないと不安だったから。
今は、もう、そんな自分ではないのもわかる。
ただ、そんな自分に慣れていないから戸惑いがまだある。


珈琲豆の焙煎。

豆が少しずつ色を変えていくのを、ただ眺める時間。

この焙煎機は2台目。
数年前、豊かな時間に憧れて我が家に迎え入れてたのだけど
どちらかと言えば、「道具」になっていた。

珈琲はずいぶん前から物価高のあおりを受けている。
初期投資としての費用は勿論かかったけど、生豆の方がランニングコストとしても
優秀だったので、心の豊かさより、コスト面に私の意識が注がれていたかもしれない。

豆を選ぶことを楽しむ。
時間や火力を調整して楽しむ。
やっと、そういうことをしている。


聞き流していた音楽を、ちゃんと聴くようになったのも私の変化の1つ。

AirPodsでも十分すぎるくらい良い音だと思っていたのに
音楽家さんおすすめのヘッドフォンに変えてみると感動が変わった。

上を目指すとキリがなさそうだけど、初心者にしては素晴らしい世界の扉を開けたのはわかる。

音楽に詳しくない私だけど、酔いしれる時間になった。

昨夜はベートーヴェンのクロイツェルを聴いた。

ベートーヴェン 六重奏・五重奏のCDジャケット。L'Archibudelliの演奏。

ヘッドホンをつけているのだけど、音楽が、部屋の中に広がっている気がする。
何度も聞いているうちに、さっきは気にならなかった音に気づいたりと新たな発見もあって、豊かな気持ちというのはこういうことかと、また、驚く。


今年は53歳になる。
20代の時、30代になるのはかなり高い壁があった。
そこからはわりと慣れていたのだけど、人生後半の入り口50代の壁は相当高いものだった。
とはいえ、50代は負け惜しみもなく、なんとなく最高だと感じているところ。
大人の時間の使い方として、予定を詰めるより、味わう楽しみ方をする「勇気」を覚えたとも言える。そして、こんなにも豊かな気持ちになれるとわかった今を大事にしたい。

心地よさは、静かに広がっていく。

心からそう思える。

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