春分の日が過ぎ、
太陽は春を宣言するように眩しい。
だけど、厳しいと思う冷たさが
空気にはまだある。
春分の日は新しいことを始めるには、ちょうどいい頃合いらしい。
私の場合、思いがけず、クラシックの世界の扉を開けていた。
なぜ今までこの世界を知らずにいたのだろうと、毎日不思議に思うほど
心を掴まれている。
昨夜はショパンのバラード第3番。
変イ長調、作品47。リヒテルの演奏を何度も聴いてみた。
変イ長調。作品47。
その意味をひとつずつ調べては、「そうなのか」と静かに頷くレベル。
最初はただ、ロマンチックで美しいと思った。
けれど何度か聴くうちに、情熱や静けさが入り混じることに気づく。
音楽には物語があり、
楽譜の向こうにある背景と、演奏者の解釈、
そして受け取る側の感性が重なっているみたい。
それはまるで、本を読むようだった。
自分がその本に出会って読む年齢や気持ちによって、
見える景色が変わるように。
ただ味わえばいい、と言われる。
けれど、ほんの少しの理解や自分なりの基準があるだけで
見える世界はさらに深くなる気がしてしまう。
春にクラシックに出逢った。
それは、十分に豊かな出来事に思えた。
前回も触れたのだけど
2026年に入ってから、いくつかの小さな実験を続けている。
その中のひとつが、朝の掃除。
玄関と廊下を水拭きする。
たったそれだけのこと。
2ヶ月以上、どうにもならなかった課題があった。
慎重に向き合い続けていたけれど、焦げ付いていた。
考えることをやめる、
そこに至るまでいろいろな思いと対応と失望があったけど
不要な気持ちを育てるより
有益なことに時間を使うようにした。
今回は掃除に時間を使うことに決めて。
すると翌日、思いがけず解決への道筋が見えた。
玄関と廊下の掃除の効果、早い。
まだ完全ではないけれど、もう大丈夫だとわかる段階。
不要な心配に時間を使うより、
自分にとって有益なことを選んだだけ。
その小さな選択の積み重ねが、現実を少しずつ変えるのもわかる。
今朝も掃除を終えて、朝ごはんを整えた。
全粒粉のワッフル、目玉焼き、マッシュポテト。
静かな光の中で、ひとつひとつを丁寧に並べる。
かつては、美味しいワッフルを作りたくて、
夢中になって何度も作り続けていた時期もあったなぁ。
そんな気持ちを忘れた頃の、今朝のこと。
それは、もう叶っているのだと教えられたようだった。
バターとカシスジャムの甘さが、
たまらないないほど、やさしく口の中で温かく広がった。
静かで満ち足りた朝。
有益なことに時間を使う大切さをまた、実感した。


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