ジャーナリングをすれば、すべてうまくいくの?

木製のトレーの上に置かれた手作りパンのバタートースト 心を満たす時間

ジャーナリングについての記事を書いていたこともあり、
最近、いくつか質問をいただいた。

ジャーナリングについては、これまでもいくつか書いてきた。

怪しいと思いながら2年続けてわかったことや、
書き方が変わった転機のことも。

その流れで、自分の考えを少しだけ整理してみようと思う。

私は、いわゆる日記のようなものはずっと書いている。
どれくらい続けているのか、もう思い出せないくらい。

読書や映画の感想も、小論文の練習用に書きためているのだけど
発酵調味料の講師講座を受講したときに「ジャーナリング」という言葉と
記録の仕方を知った。

それからは、自分なりに工夫しながら、静かに続けている。
続けていく中で、小さな気づきや、軌道修正が生まれた。
きっとこれからも、そういうことが繰り返されていくのだと思う。

こんな質問をいただいた。

「ジャーナリングをすれば、すべてがうまくいくのですか?」

最初は、少し意味がわからなかった。
でもその問いの中に、ひとつの”誤解の源”があると思った。

ジャーナリングをすれば、悩みは消えて、夢は叶い、いつも心地よい暮らしが手に入る。
そんなふうに思われることがあるようだと。

それはどこか、
「この学校に入れたら一生幸せ」
「好きな人と結婚できたら、すべてうまくいく」
という感覚に、少し似ている気がする。

でも、ある程度の時間を生きてくると、
そんなふうには思わなくなってくるし
そんな問いも思いつかない。

いいことも、そうでないことも、どちらもある。
その中で、少しでも「よい」と感じられる時間を増やしていく。
そういう選択が、静かに重ねられていくことで
自分の幸福な時間を増やしていくのではないかと私は思っている。

私自身も「これさえあれば、他はいらない」と思うようなひとつの正解に憧れたことがある。

けれど、そういう考えは若い時の特権だったり
こだわりのある時期の楽しさではないかしら。

極端な考えよりも、その時々で変わっていける柔らかさ。
自分にとっての”ちょうどいい距離感”を見つけていくことのほうが、ずっと心地よいと感じている。


たとえば、発酵料理。

一時期は夢中になって、調味料もこれでなければ、と思っていた。
でも今は、少し肩の力が抜けている。

せいろにクッキングシートを敷き、ブロッコリーと長ネギを並べて蒸している様子

夕方、野菜を丁寧に洗って、せいろで蒸す。
それだけで、十分においしい。

岩塩を少し。梅干しを添えるだけでも、かなり満たされる。

こだわりすぎないことで、かえって、私の心地よさは安定している気がする。

夜にしっかり食べた翌朝は、胡桃パンのバタートーストとコーヒーだけ。
グルテンフリーやオイルフリーも経てきたけど、
今は適当。
この適当は考えのない適当ではないと自分では思っているのだけど
側から見ると同じに見えるかも。


ジャーナリングも、きっと同じ。

何かを「解決するための道具」ではなく、自分の焦点を、静かに合わせ直す時間。
その積み重ねが、気づけば、自分の在り方を整えてくれる。

すべてがうまくいくわけではないけれど、少しずつ、自分に戻っていける。

それだけで、十分なのだと思う。
答えになるだろうか。

ジャーナリングをこれから始めたい方は、こちらの記事も読んでみてください。

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